琴櫻将傑の祖父は元横綱「琴櫻傑将」(12代目佐渡ヶ嶽親方)

大相撲力士の琴櫻将傑(ことざくらまさかつ)さんの祖父についてまとめました。

  • 琴櫻将傑の祖父はどんな人?
  • 元横綱「琴櫻傑将」プロフィール
  • 祖父は12代目佐渡ヶ嶽親方

相撲一家のサラブレットとして四股名を継承し、2代目琴櫻としてご活躍する注目力士!

そんな彼の祖父についてご紹介します。

目次

琴櫻将傑の祖父は元横綱「琴櫻傑将」

琴櫻将傑さんの祖父は元横綱「琴櫻傑将」(ことざくらまさかつ)さんです。

本名は「鎌谷紀雄」(かまたにのりお)さんといい、プロフィールや現役時代の成績をまとめると下記の通りになります。

四股名琴櫻傑将
ことざくらまさかつ
本名鎌谷紀雄
かまたにのりお
師匠名佐渡ヶ嶽慶兼
さどがたけよしかね
年寄佐渡ヶ嶽
さどがたけ
生年月日1940年11月26日
出身鳥取県東伯郡倉吉町
※現在の鳥取県倉吉市
身長182cm
初土俵1959年1月場所
入幕1963年3月場所
引退1974年5月場所
最高位第53代横綱
生涯戦歴723勝428敗77休

一気に攻める押し相撲を得意として「猛牛」の異名を取り、32歳で横綱に昇進した遅咲きの力士でした。

母校の倉吉市立成徳小学校前には銅像が建てられるなど多くのファンに愛され、トータルでは15年ほどご活躍しています。

引退後は親方として始めは年寄「白玉」(しらたま)、後に「佐渡ヶ嶽」(さどがたけ)を襲名しました。

そして、晩年は後輩育成に努め、2007年8月14日に66歳で敗血症による多臓器不全で亡くなっています。

ちなみに、祖父の琴櫻傑将さんを「初代琴櫻」、孫の琴櫻将傑さんを「2代目琴櫻」と分かりやすいように呼び分けることもあります。

四股名を継承することがある大相撲の世界らしい呼び分け方です。

琴櫻将傑の祖父は12代目の佐渡ヶ嶽親方

琴櫻将傑さんの祖父は12代目の佐渡ヶ嶽親方でした。

現役を引退した後、はじめは年寄「白玉」(しらたま)を襲名しましたが、先代の佐渡ヶ嶽親方が亡くなったため「佐渡ヶ嶽」を引き継いでいます。

その後、大関の琴風さんや琴欧洲さんなどの師匠としてたくさんのお弟子たちを育成してきました。

また、大相撲協会の理事を務めたり、大相撲放送の解説を担当するなど、相撲界のために大きく貢献してくれた一人といえるでしょう。

お世話になった関係者も多く、現在のファンからすると現役時代より親方時代のご活躍を知っている人の方が多いかもしれません。

そして、2005年11月25日に定年退職した際、娘と結婚して婿入りした弟子の元関脇「琴ノ若晴將」(初代琴ノ若)さんに「佐渡ヶ嶽」を譲っています。

まさに相撲に尽くした人生で、大往生といっていいはずです。

なお、孫にあたる琴櫻将傑さんが入門したのは2015年なので、祖父と相撲部屋内で親方と弟子という関係になったことはありません。

でも、小さい頃から相撲を始め、祖父から初孫として可愛がられていたので、色々と指導してもらえる機会はあったようです。

ただ、相撲に関してはとても厳しく、下記のような思い出があるといっていました。

「僕が歩けるようになった頃から、ほぼ毎日のように近所のスーパー銭湯に通い、いつもアイスを買ってくれていました。幼稚園の時、近隣の相撲大会で2位になり、銀メダルをもらったんですが、祖父には『1位じゃなきゃ意味がない。2位、3位は誰かに負けたということ。金メダルを取って来い!』と言われたんです」

出典元:https://number.bunshun.jp/

おじいちゃんとしての優しい一面だけでなく、元横綱として勝負の世界に身を置いていた厳しさも伝わってくるエピソードです。

それもきっと愛情の裏返しなんでしょうが、幼稚園の時の思い出を今も覚えているくらい衝撃的な出来事となっています。

ちょっとズレたらトラウマになって相撲を辞めてしまってもおかしくないかもしれません。

でも、相撲界のトップに上り詰めた偉大な祖父が見せた勝負へのこだわりだからこそ、今も忘れない誓いのようになった気がします。

これからも2位や3位の好成績で満足することなく、一番を目指して精進を続けてほしいです。

琴櫻将傑は祖父の四股名を継承

琴櫻将傑さんは祖父の四股名「琴櫻」を継承しています。

元々、祖父から大関になったら自分の四股名を継承していいといわれていました。

また、同じように父親の元関脇「琴ノ若晴將」さんからも三段目に昇進したら「琴ノ若」を使っていいといわれています。

そのため、はじめは「琴鎌谷将且」という四股名でしたが、三段目ではなく新十両になった2019年7月場所に改名しました。

恐らくキリのいいタイミングを見計らったんでしょうね。

具体的には「琴ノ若傑太」になり、2代目琴ノ若と呼ばれるようになっています。

そして、父親の四股名で大関として土俵入りしたいという思いがあったため、新大関として土俵入りした2024年3月場所まで使っていました。

親としてはめちゃくちゃ嬉しい子供からの恩返しになったといえるでしょう。

その後、2024年5月場所から「琴櫻将傑」に改名して2代目琴櫻になっています。

祖父は既に亡くなっていたので晴れ姿を直接見せられませんでしたが、きっと遠くからは見守ってくれているはずです。

それに、きっと向こうで立派に成長した孫を自慢しまくっているでしょうね。

なお、祖父の四股名「琴櫻傑将」(ことざくらまさかつ)と同じ読み方で、漢字も順番が違うだけで一緒の字を使っています。

ちなみに、「琴桜」ではなく旧字体を使った「琴櫻」にこだわりがあるそうです。

そういったお話から万感の思いを持って継承している様子が伝わってきました。

とても家族思いでこれ以上ないほどの最高の恩返しといっていいかもしれません。

相撲一家の子供としてプレッシャーを感じる場面は多いはずですが、祖父と同じ横綱を目指してこれからも頑張ってほしいです。

琴櫻将傑の祖父まとめ

  • 琴櫻将傑の祖父は元横綱「琴櫻傑将」
  • 祖父のプロフィールは記事内の通りで「猛牛」の異名を持つ力士だった
  • 12代目の佐渡ヶ嶽親方として相撲界に大きく貢献
  • 琴櫻将傑は祖父の四股名「琴櫻」を2024年5月場所から継承している

今回は大相撲力士の琴櫻将傑さんの祖父についてまとめました。

現役時代は横綱にまで上り詰めた実力者で、引退後は佐渡ヶ嶽親方として弟子たちの育成などに尽くしています。

孫の琴櫻将傑さんを小さい頃から愛して、自分の四股名を継がせたいと考えるくらい将来に期待を寄せていました。

その思いは亡くなってからも引き継がれ、2024年5月場所で念願が叶った姿を遠くから見守ってくれていたはずです。

そんな偉大な祖父と同じく横綱という更なる高みを目指し、2代目琴櫻としてこれからも頑張ってほしいですね。

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