- 貴乃花と宮沢りえの出会いは1990年元旦付の対談企画
- 1992年8月頃から交際が始まり二か月後には婚約発表
- その僅か三か月後に婚約解消を発表
- 婚約解消の裏側には美川憲一さんの説得があった
- お互いに愛情はあったようだが仕方なかった様子
大相撲力士の貴乃花さんと女優の宮沢りえさんの婚約&解消は「世紀のカップル誕生」から「世紀の婚約解消」と大きく世間を騒がせました。
30年以上前のお話ですが絶大な人気を誇る国民的スターの衝撃的なニュースなので、当時を鮮明に覚えている人も多いかもしれません。
若輩者の私は後から知りましたが、初めて聞いた時はびっくりしすぎて信じられなかったくらいです。
現在はお互いに別々の道でそれぞれの幸せを見つけて生活していますが、様々な要因がもう少しずつ違っていたら別の結末が待っていたかもしれません。
そんな二人の馴れ初めや婚約解消までの経緯を詳しくご紹介します。
貴乃花&宮沢りえの馴れ初め
貴乃花さんと宮沢りえさんは1990年元旦付の対談企画で出会いました。
そして、1992年8月頃から交際が始まり、僅か2カ月後に婚約を発表しています。
何がきっかけだったのか気になるファンは多いですが、馴れ初めについて詳しくお話してくれたことはないようです。
ただ、貴乃花さんは将来を期待される人気力士で、宮沢りえさんは国民的美少女と呼ばれるくらい人気の女優・モデルとして愛されていました。
たくさんの人から常に注目され続ける生活で、もしかしたらお互いに交際前からシンパシーを感じる部分が多かったのかもしれません。
そんな二人の間に恋愛感情が生まれ、交際が始まったと考えるなら一気に熱が高まったとしてもおかしくないでしょう。
確かに交際期間二カ月で婚約発表は早いと思いますが、長ければいいというわけでもありません。
出会ってから一ヵ月や二カ月で結婚して幸せに過ごしている人も間違いなくいます。
一番大切なのはお互いの気持ちで、結婚相手を人生のパートナーとして支え続けていく覚悟があるかが重要です。
きっと当時の二人はそういった覚悟を早々に出来たからこそ、婚約を発表したんでしょうね。
貴乃花&宮沢りえの婚約解消までの経緯
貴乃花さんと宮沢りえさんの婚約解消までの経緯をまとめると下記の通りです。
- 1990年元旦付の対談企画で出会う
- 1992年8月頃から交際した様子
- 1992年10月に貴乃花がプロポーズして受諾
- 1992年10月27日に婚約を発表
- 約一か月後に正式に婚約
- 1992年11月27日に婚約会見
- 宮沢りえが美川憲一の説得を受ける
- 1993年1月27日に婚約解消を発表
絶大な人気を誇る二人の婚約は「世紀のカップル誕生」と多くのファンから祝福されました。
挙式も1993年5月28日に予定していると発表され、楽しみにしていた人が多いでしょう。
その分、婚約を発表してから三か月後の婚約解消は「世紀の婚約解消」と世間を大きく騒がせています。
なお、婚約会見を起点に考えて二カ月後と報じられる時もあるようです。
どちらにしても展開がとても早いので、スピード婚約&解消といわれてしまうのは仕方ないかもしれません。
婚約解消の裏側にあった美川憲一の説得
貴乃花さんと宮沢りえさんの婚約解消の裏側には美川憲一さんの説得がありました。
もしかすると婚約解消の決め手になったといっていいかもしれません。
2014年10月に美川憲一さんご本人がテレビ番組で告白しています。
りえママと「仲がよかった」という美川は、「婚約したときにりえママから電話があった。『やっぱり、嫁ぐところが相撲の世界だから、りえがおかみさんになれる(おかみさんとしてやっていける)ということはありえないと思うのよ』って。それで頼まれてぶっ壊したのよ」と婚約を解消するよう、りえを説得したことを衝撃告白した。
当時、滞在先のロサンゼルスからりえに電話をかけ、1時間ほど話し込んだという。「本当にお嫁に行きたいの?」と聞くと、りえは「行きたい」ときっぱり答えたという。
しかし、美川は「あんたは背負ってるものが重すぎる。あんたも母一人子一人。私も2人の母(生みの母と育ての母)を背負ってきた。そういう家庭に生まれたらしょうがない、運命だから。おかみさんになったら、お母さんどうするの?ずっと面倒みていかないといけないのよ」と語りかけた。
出典元:https://www.daily.co.jp/
ぶっ壊したという過激ないい方ですが、彼女らしく宮沢りえさんの今後の幸せを心配したんだと思います。
国民的人気を誇る女優・モデルとはいえ当時はまだ19歳で、お相手の貴乃花さんは20歳でした。
二人の間にどんなに強い気持ちがあったとしても、早すぎる婚約発表や母親の説得不足など、若さといえる部分が垣間見えます。
また、結婚後の生活についてどうするかもあまり詰め切れていなかったようです。
例えば相撲部屋の女将としてどうしていくかとか、芸能活動をどうするかなどですね。
お互いの状況、周囲の大人たちの協力、世間の反応、時代など様々な要因がもう少しずつ違っていたら、別の結末が待っていたかもしれません。
ただ、当時の二人は婚約解消を選ぶことになったようです。
婚約解消時の二人の対応
貴乃花さんと宮沢りえさんが婚約を解消した時、お互いに愛情は残っていたようですが仕方なく決断したように見えます。
貴乃花さんは愛情がなくなったとか自分の力不足と取材に答えるだけで、明らかに宮沢りえさんをかばっている様子でした。
後に振り返ってくれた時にそうするしかなかったとお話しています。
宮沢りえさんは強い横綱になってほしいと伝えて別れたそうです。
そして、仲睦まじく二人で行った婚約会見時とは違い、婚約解消の会見は別々に行ったみたいです。
国民的スターの二人を取り巻く環境と影響力は、当時20歳の貴乃花さんと19歳の宮沢りえさんの想像以上だったといえるでしょう。
現在も語り継がれるくらい世間に大きなインパクトを残し、ご本人たちや関係者だけでなくたくさんの人々の記憶に様々な思いと共に残っています。
ただ、三十年以上前の過去のお話ということも事実です。
貴乃花さんも宮沢りえさんも別々の道でそれぞれの幸せを見つけて生活しています。
そのため、誰もが持っているような時々思い出す世知辛い記憶の一つといえるかもしれません。
貴乃花の婚約解消後の生活
貴乃花さんは大相撲力士として第65代横綱にまで上り詰めました。
引退後は親方として相撲部屋で弟子をとり、親方を引退した現在も相撲の普及活動に力を入れています。
プライベートとしては1995年5月に8歳年上の元フジテレビアナウンサー河野景子さんと結婚しました。
3人の子供に恵まれ、23年間の結婚生活を過ごしましたが2018年10月25日に離婚しています。
様々なすれ違いが積み重なっていった結果で、貴乃花部屋の消滅などが離婚の決め手になったそうです。
その後、2023年8月下旬に1歳年上の一般女性と再婚しました。
再婚相手は貴乃花さんの初恋の人で、10代の頃に付き合っていた女性です。
ドラマよりもドラマチックな展開にかなり話題となりました。
ただ、SNSで報告してくれた時に穏やかにゆっくり歩んでいきたいと思いを綴っています。
そのため、二人の穏やかな幸せを温かく見守っていきたいです。
宮沢りえの婚約解消後の生活
宮沢りえさんは女優・モデルとしてご活動を続けています。
激瘦せなどで芸能活動を一時期休止することはありましたが、現在も美貌は衰えていません。
プライベートとしては様々な人と熱愛が噂されていて、2009年2月13日に妊娠6か月と発表しました。
お相手は5歳くらい年上のハワイ在住、日本人実業家で元プロサーファーの中津ひろゆきさんといわれています。
2009年4月2日に親しい人だけを呼んだ結婚式を行い、2009年5月20日には第一子となる女の子が生まれました。
ただ、2012年5月8日に離婚協議中であることが判明して、2016年3月18日に正式に離婚を発表しています。
その後、2018年3月16日に5歳年下のアイドル・俳優の森田剛さんと再婚しました。
波乱万丈・壮絶といわれることもある彼女の人生ですが、今は少し落ち着いているといえるかもしれません。
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